I found it! 

 今、私はある遠い国の若い研究者K君と共同研究をしている。しかし、私たちは一度も会ったことはない。

 どうしてこういうことになったかというと、始まりはある日届いたメールである。差出人のK君の名に覚えがあった。私の研究に興味を持っているらしく、何度か私の論文を引用して、関係のあるテーマで論文を書いている。

 メールの中で彼は、私のグループで共同研究ができないだろうか、と尋ねていた。メールにはCV(履歴書)と業績リストが添付されている。2015年に博士の学位を取っており、すでに15編の論文を公表している。なかなか優秀な若手のようだ。しかし私は公式には引退しており、そもそも大学に自分の部屋さえ持っていないので、ポスドクなどを受け入れることはできそうもない。しかし、ネットを通じてなら共同研究が可能だろう、と返事をした。

 K君はそれに同意して、共同研究が始まった。これは昨年の11月末のことだ。

 

 私には暖めている手持ちの研究テーマが5〜6件ぐらいは常にあるので、その中から二つを提案してみた。一つはかなり野心的で、実は私にも何が起きるか分からないし、首尾よく理論として成立するかどうかも分からない話。もう一つは「やれば確実にできそう」という話で、かつ、すでに私がもっとも簡単化したケースで解いてみた結果がある。

 K君は二つ目の方に興味を示したので、それをやろうということになった。これは「内部自由度のある粒子のトンネル効果」、「Landau-Zener公式」、「量子ゼノン効果」などの話題とも関係がある。

 ワードで作った17ページほどのノートがあったので、それをパソコンの中から探し出してメールで送った。K君はすぐにそれを読み解き咀嚼して、自分でノートを作り送り返してきた。真面目で頭の回転が速い。

 一番簡単なケースについては解析的に解けたので、その結果も私のノートには書いてある。問題は、それをもっと大規模な系に拡張して数値計算を行い、何が起きるかを調べることである。この数値計算にはちょっと面白いテクニックを使うので、その手順も書いておいた。K君には、この知識だけでも将来役に立つだろうと思ったのだ。

 大規模計算を始める前に、もっとも簡単な場合について、この技法を適用してみて解析的厳密解と比較してみよう、ということになった。当然の手続きである。

 

 昨年の暮れに、早くも結果が返ってきた。その結果は「どうもぴったり合わない」ということである。責任上、放ってはおけないので、私もK君とは独立に数値計算を開始した。出てきた結果はK君と同じ。そこから悪戦苦闘が始まった。

 こういうことは、理論研究ではよくあることである。間違いの原因と思われる可能性を一つひとつ潰していくしか仕方がない。最悪なのは、目玉の計算技法が原理的に適用不可というケースである。

 まず、私のノートにはミスプリントがいくつかあった。しかし、これが不一致の原因ではないことは確認できた。解析的厳密解の方が間違っているかも知れないので、もう一度チェック。さらに、もっと簡単にしたモデルに対してこの技法を適用し、厳密解と比較して一致することも確認した。要するにこういうしんどい手続きを、一歩一歩たどっていくしかない。 以前にも書いたことだが、人間は誤りを誤りと認識することによってしか、正しく推論を進めることができないのだ。

 最後の手段は、私が「コンピュータになる」と言っている作業である。要するに、自分がコンピュータになったつもりで、プログラムに書かれている手続き、つまり式変形を、一つ一つ紙の上で行っていくのである。これでバグが見つかることもある。しかし、これはあまりにもしんどい作業なので、途中で放棄せざるを得なかった。人間、コンピュータになるのはなかなか難しい。

 

 こういう状況が新年もずっと続いた。元旦には、例年どおり親戚一同が集まり宴会。参加者は、伯母さんと従弟妹たち、および私の弟妹とその家族。従弟妹とその子供たちの代まで次々と結婚し、子供を連れてきたので、総勢二十数名に膨れ上がっている。二日は、家族で日本橋の七福神めぐりに行った。しかし、頭の片隅には、いつもこの問題があった。憂鬱である。

 

 これらの中間結果を、昨夜、計算結果もつけてK君にメールした。メールの表題は errors not yet found である。その後も深夜までいろいろ考え続けた。ここを突破しないと先へ進めない。

 夜中の2時過ぎに、ある可能性に気がついた。ノートに書いた理論のエネルギー基準の設定が途中で変わっているのじゃないか?慌ててその部分を修正したプログラムで計算してみたら、厳密解と完全に一致。

 私はそのことをすぐにK君にメールで知らせた。メールの表題は I found it! である。K君の国とは8時間の時差がある。返答は30分後に来た。 I have tried the code and it works well とあった。 これで先へ進めるぞ。




                                        (Jan. 2018)

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